御成街道 (おなりかいどう) と 御茶屋御殿跡 (おちゃやごてんあと)
四街道市と千葉市の境に御成街道が通っております。
徳川家康が東金(とおがね)に軍事演習も兼ねた鷹狩りにいくというので、佐倉藩主、土井利勝が領地の村々にいいつけて、急いでつくらせた道路です。
この街道は、船橋から東金までは、ほぼ一直線に作られたそうです。一夜にしてできたという言い伝えがあることから夜も昼も工事を続け、短期間のうちに作られております。街道沿いの村々は、収穫高によって受け持ち距離を決められて工事を受け持ったとのことです。
この街道は、『御成(おなり)』と名づけられたように、将軍がとおる特別な道なので、一般の旅人にはほとんど利用されなかったようです。実際、東金地方への鷹狩は、家康1回、秀忠8回、家光は1回とのことです。途中休んだり、泊ままったりする泊まために、御殿をててました。船橋御殿、御茶屋御殿(千葉市若葉区御殿町)、東金御殿の3つです。御茶御殿跡は林になっておりました。
御成街道は、は千葉市稲毛区の自衛隊から千葉市若葉区金親の交差点までは、ほぼ直線で2車線道路として利用されております。
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