はりきゅうの歴史 その4 戦後

第2次世界大戦が終わると、日本を統治していたGHQははりきゅうの実践を禁止しようとしたため、日本におけるはりきゅうは、明治維新以来再び存続の危機に直面します。

マッカーサーが「人の体に火をつけるなんてとんでもない」という認識だったというエピソードも伝わっております。

この時、業界を代表者が繰り返し、GHQ、厚生省に陳情を行い昭和22年12月に現在の「あん摩マッサージ、はりきゅう師等に関する法律」の原型が制定されております。

1970年代初め、中国の鍼麻酔が紹介され、はりの臨床効果が認められるに従い、「はりはなぜ効くのか」科学的に説明されています。

2008年には、WHO(世界保健機関)においてツボの標準位置、経穴の位置が定められております。

芭蕉の「奥の細道」には、足三里(あしさんり)は、「月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人也。--中略ーー笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかかりて、--」と書かれております。

この足三里は、国際標準化記号では、S36となっており、標準位置は、足の膝の外膝眼(がいしつがん)から下三寸(親指の幅で3本分)と定められております。

ただ、実際の臨床に当たっては、生きたヅポが標準位置からかなりずれている場合もあります。

 

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