身体にやさしい日本のはりを作った 杉山和一 (すぎやまわいち) 検校 (けんぎょう)

身体にやさしい日本人のはりを創設したのは、杉山和一検校(1610~1694年)です。

杉山検校は、三重県の津(つ)藩の家臣、杉山重政の長男として誕生しました。幼いころ伝染病にかかり失明し、江戸ではりあん摩の修行のため弟子入りするが生来の動作ののろさ、物忘の激しき、不器用のために上達が遅く破門されます。

実家に帰る途中、石につまずきたぉけれた際に、体に刺さったものがあったのが竹の筒と松葉であった。そこからヒントを得て、現在使われている、痛みの少ない管鍼法(かんしんほう)が編み出されたといわれております。

その後、京都で修行を続け、江戸で開業し大盛況となり、五代将軍綱吉の「ぶらぶら病」を治癒し、61歳で検校になっております。

72歳の時、世界初の視覚障碍者教育施設である「杉山流鍼治導引稽古所」を開設しております。この精神は、現在の盲学校に引き継がれています。努力の人であり遅咲きの検校でしたね。

杉山和一検校は、両国駅の近くにある、「江島杉山神社」にはりの神様として、祀(まつ)られております。

 

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