庶民の英雄 佐倉宗吾

千葉県成田市にある、鳴鐘山東勝寺は、下総国佐倉藩の名主、佐倉宗吾(さくらそうご)様の菩提寺として知られ、宗吾霊堂の名で親しまれています。境内は緑につつまれ、春には桜が咲き、秋には美しい紅葉がみられ、毎年250万人の参詣者が訪れています。

 佐倉宗吾(本名・木内惣五郎)様は、承応2年12月に4代将軍家綱公に直訴を行いました。その頃、佐倉藩は、大変な飢饉に襲われていました。しかし当時の藩主は年貢を緩めることもなく、農民の実情を無視した過酷な検見が行われ、農民は餓死寸前の状態にありました。

 たまりかねた城下の名主達が集まって、木内惣五郎様他6人で、将軍お側用人である久世大和守様に直訴を申し出たのですが、聞き届けられませんでした。やむなく惣五郎様は1人で4代将軍家綱公へ直訴を行う決心をしたのです。当時の直訴の罪は重く、家族にまで刑罰が及びました。家族の身を案じた惣五郎様は直訴の前に奥様を離縁、子供達を勘当しようとしますが、奥様は惣五郎様の考えを聞き入れず、運命を共にする覚悟で離縁を拒みました。
> 雪の降る中、惣五郎様は家族に別れを告げ、1人江戸へ向かいました。そして上野寛永寺で墓参りに来た4代将軍家綱公の駕籠を待ち受け、直訴を行なったのです。

 惣五郎様はその場で取り押さえられましたが、家綱公は墓参りが終わった後、惣五郎様からの訴状の内容を確認し、佐倉藩の状況を調べました。そして佐倉藩の深刻な状況を知り、3年間の減免を行いました。飢饉に苦しんでいた農民は救われたのです。

 しかし、直訴の罪で惣五郎様は、はりつけになり、子供達までが打ち首になってしまいました。のちに、佐倉藩主堀田正亮公は、1752年の百回忌のときに、当時の失政に胸を痛め、惣五郎様に「宗吾道閑居士」の法号を授けました。それ以来、惣五郎様は宗吾様と呼ばれるようになったのです。

 宗吾霊堂の裏手にある宗吾御一代記念館には「ベロだしチョンマ」という民芸品が売られています。そしてこの「ベロだしチョンマ」には、宗吾様と共に処刑された子供達の、とても悲しい話しが伝えられているのです。

苦しんでいた農民は救われたのです。

宗吾霊堂には、京成本線宗吾参道駅下車徒歩15分の所にあります。一度お参りされてはいかがでしょう。

出典:ネットからの転載

 

   

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